想々綴り

日々感じたことや考えていることを綴る雑記帳

裏腹な人たち「仲間が欲しい」

良くも悪くもネット上に自分という存在を何らかの形で浮遊させているのはネットワークが欲しいからだ・・きっと。

自分にも身に覚えがある・・

 

相手に対して必要にちょっかいを出し、その人が不快に思ったり怒りを持つと確信していても・・絡んでいく。

もちろん攻撃されたと感じる住人は反論もしたいかもしれないし、嫌みの一つも言いたいという気持ちはごもっとも

 

しかし相手をしてくれたことでなんだか繋がったと錯覚されても困る。

 

もしかしたらお仲間を探してあちこち絡んでいるのかもしれないからだ。

反応があれば、チャンス到来、会うこともない相手のやり取りで自分の存在感を示し自身も手応えを感じたりしているのだろう。

 

そう・・強がりを言ってみてもそれは弱さの裏返しかもしれない。

 

 

全ては仲間を探し、仲間が欲しいという気持ちの裏返しなのだ。

 

 

 

 

 

 

ネットフィルター

商用で利用する場合などは別として、一般的にネット利用による投稿の場合には、ニックネームなどを使いネット住人の一員として存在しています。



もちろん私もその状態でこうして投稿しています。
ネット住人としての在り方は人それぞれです。


日記代わりにしたり、意見交換を目的にする、また自分で調べたことなどの記録などを発信する基地場所になる場合もあるでしょう。



有意義な使い方で発信者も受信者双方とも、メリットのある時間となれば何よりです。

しかし一方で

ネットというフィルターを逆手にとって、お互いを傷つけあい、罵倒し嘲笑う投稿やコメントをすることを良しとして、公開バトルを繰り返している様子をこれまでも何度も見かけました。




日頃の鬱憤を晴らすが如く、ネット上の投稿や内容に絡んでくるわけです。



ある方がこう言ってました。


リアルな生活で不満がたまると、ネットで毒を吐いたり、絡めそうな相手を探してそのモヤモヤを晴らしたい衝動に駆られると・・・・


知らない人だからいいだろう、会うこともないのだからというところでしょうか。


人間裏も表もあるし、どこかで吐き出さないと心のバランスは崩れます。


しかし、ネットフィルターでの人間観察で、相手を判断して、攻撃し合うのは鬱憤晴らしの捌け口としているのはどうにもやりきれない思いでもあります。

たとえそんな住人たちが語る言葉に良質なものがちりばめられていたとしても、偽りにしか感じ取れなくなってしまいます。


結局自分を主張する手段として、ブログを使っているだけなのかもしれませんね。

しかしこうした公開バトルは、ネットのどこかで傍観者がみているわけです。


もちろんそれを了解の上でテンションが上がりバトルを面白がっている場合もあるのでしょうが、・・ふっと客観的に眺めた時に「自分もまた誰かに見られていること観察されていること」に気が付くことでしょう。いや気が付いてほしいと願っています。

ファンという言葉の呪縛


ファンなら必見


ファンなら知っていて当然


ファンなら、何を置いてもで向く


ファンなら、全てを知っていなければ、ならない。知らないのはフアンじゃない


ええっと、

とっても
窮屈ですね。


同じ方向に押し込まれて流されているような感覚です。逆行できないような感じです。

じゃあ、この状態から逃れるにはどうすればいいのか。


ファンが向けている目線の先の対象から距離を置く。

それでも関心があるとしても、ファンとは距離をとるか、関わらない!

離れるのが一番ですね。





本来は人それぞれの関心の持ち方があるはずで、人気や実績がファンの優劣を決めたり、上下関係を決めるわけでもないはずです。長年のファンはそれなりの思い出や経験を持ってはいるでしょう。だからといってそこに何の優位性があるというのでしょう。

例えばの話ですが・・昨日突然ある対象者にときめいた人の方がピュアな気持ちがあふれている場合もあるのです。

ファンという言葉にいつの間にかがんじがらめになって、不自由な心の持ち主になっていることもあるのではないでしょうか。

シンプルに好きである感情が根底にあれば、その好きの方向がどういった部分に向くかはその方次第。なのだがら。

気持ちって、変わっていくもの

何だか、とある人との意見交換的なメッセージを読んでから、あるカテゴリーへの関心が、激減し始めた。

それは、もしかしたら、やり取りした人への違和感や価値観の相違から気持ちがより下降しているだけで、カテゴリーへの関心が、根本的に崩れたわけではないのかもしれないけれど。


ただ、ファンという感情で、接近されたことにげんなりしてしまったのだ。


そんなものだと、知ってはいたが、なんだかそこまであることや人に、のめり込めることが羨ましいというよりも、自分との違いを突きつけられた感じが強い。突きつけられたことで、むしろ自分の感覚もより鮮明に浮かび上がったのかもしれないけれど・・





ただ・・その人への感情なのか、カテゴリーへの関心なのかは、混沌としている状態だけれど、以前よりも、確実に関心は薄れ、特にさほど観たいとか、楽しみたい気持ちは湧いて来なくなった。


むしろ、見たり知ったりすることで、面倒な事や考えに惑わされたくもない。



それよりも、シンプルに楽しめることに心傾けたい・・

そろそろそのカテゴリーとも距離をとるべきなのか否か。

気持ちって変わっていくもの


それをそのまま受け止めたい。

withエイジング!?

 

エイジングケア

 

アンチエイジングなどの言葉をよく耳にしますが、

 

「エイジングってそもそも何のこと?」

 

と思って検索してみました。

 

人間でいえば「老化」

あとは「経年変化」

革製品などは長年使われることで起こる変化のこと。安定した風合いや味わいも出る一方、

適切なケアやメンテナンスも必要・・というところからエイジングという言葉が使われているのですね。

 

身体的な老化は否応なく起こっています。若い時には気にもかけなかったことが気になってくる・・それは変化をしているからですね。

 

私はアンチエイジングという捉え方はどうにもピンとこないのです。

アンチというと抵抗する感じでもプラスの感情が起こらないのです。

 

年齢を重ねることは決して負に働くことばかりではないですし・・

 

 

ですからwithエイジング・・

 

加齢や老化に逆らうとか若くいるということではなく、年齢は年齢としてがっちり受け止めて、

その中でも、気になることは気にしてばかりいないで対処をし、出来る範囲内で今の自分をフル活用し活性化させておくこと・・

 

私は髪の毛は定期的に美容院で染めています。まだグレイヘアにする勇気もないし、それを気にするくらいならば、今は染めていた方がいいと思ってもいます。

 

目も老化が始まりました。まだまだいろいろなものを見たいと思う意欲があるので、定期検診などに行って目薬を戴いてもいます。

どこもかしこも若い時とは違って退行しているけれど、

 

やはり一番気を付けていることは、感情の老化かもしれません。

 

 

 

www.mylohas.net

 

 脳のアンチエイジングとして出す力を伸ばすために、著者は3つのポイントをあげています。意欲的に前向きに、頭の切り替えを早くして、想像力を働かせる

 

そう人と話すことが大切とのこと

 

その為にもこのコロナ禍の中でも興味のある場所へ出かけ、人と話をすること・・

そしてワクワクする気持ちを忘れないこと・・心掛けたい事ですね。

 

 

 

 

 

ブログを書きたくなる時

ブログを書きたくなる時はいったいどんな時だろう?





はてなブログのエディタをクリックする瞬間にふと思った。




アメブロ投稿はあるテーマのみを投稿すると決めたので、それ以外の記事投稿では更新しない予定。



まあ、そう決めたんだ。




もとい



そうだなあ




記事というか、エディタを開くときは、


頭の中のおしゃべりが始まった時かもしれない。



もやもや


ぶつぶつ


フツフツ


くどくど


はらはら


なんで?


どうして?

私は違うのになあ


どうしたい自分!

などなど






あれこれの呟きを表現する場所でもある。


はてなブログで新しいブログを開設する際に、何だかこちらの操作ミスで2つ作成した。サブの場所になるらしい。
また自分の為の日記の場所もある。


有効活用には及ばないが、その存在があることが、気持ちの上でかなりの救いになっている。




ブログは、今思っている事をつらつらと書く場所

今はただそれだけかも




そのうち、あ~これコレってみつかるかもしれないから。


今は書きたい気分だったんだな。


書きたかっただけ

いいね?!のお話


石田さんちの千恵子さんが、発した名言!

いいねがなくても生きていける



このきっぱりと言い切った姿に画面に向かって拍手を贈りたいと思った。


しかし、同感しながらも、ふと我が身を振り返った。


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確かにブログは、いいねを受け付けずに継続してきた。アメブロでは、交流目的の印としてアイコンが貼れる。

ただ単にいいねと伝えたい場合もあるだろうし、マークとして残す場合もあり、Twitterなどのいいねよりは、遥かに狭い世界での交流の為かもしれない。


私も訪問の印として付けては来たけれど、どこかにこちらのブログにもお願いね!の気持ちも含まれていたりする。リアルな生活の中でのやりとりでもそのあたりは気遣いながらの部分があるのに、日常と非日常の中間の心地よさのあるブログの中でも、右往左往しなければならないのか・・

アメブロを続けながらも常に頭の中は????ばかり。

繋がることも目的の一つだけれど、そればかりじゃない。

もっとシンプルでいい・・



読みたい人が読むものであればいい・・


そう考えるとTwitterの拡散も拡散の輪が広がりすぎてなんだか大混乱・・
ということでTwitterアカウントも削除して閲覧だけのものに取り直した。

その意味ではいいねがなくても生きていける・・
ただし・誰かの気配がそこにあってほしい・・もちろん・・好意的な気持ちを持ったり、テーマに関心を持ってくれた人が気持ちよく読んでくれるのが理想。

公開の意味はそこにあったりする。